夢を見て名古屋進出。その夢は探偵。
もともとコナンも好きだったけれど、影響を受けたのは、大学時代の友人の母親。
関西の大学に合格し、下宿費用が半端ないという親の言葉に背中を押され、なんとか4年で卒業。
単位ぎりぎりだったけれど。
岡山から関西進出。それが何故、名古屋なのか?
この友人の母親、大阪で探偵をしているのです。母子家庭で、女手一つで友人を育てるため、それなりに過酷な仕事を選んだのか、ただの趣味なのか?
はたから見ると、探偵という職業は彼女にぴったり。
見た目、柔らかい雰囲気のある人だけれど、調査のことを話すとき、本当に生き生きした目をするのだ。
相談に乗るときと、調査での意気込み、上手に使い分けられるタイプなのだろう。
ぼくの母親とは、見た目も若さもずいぶんと違うタイプだ。
うらやましい限りなのだけれど。
ただ、大学を卒業して就職した友人は、もう探偵は辞めてほしいのだ、と言っていたのだけれど。
じつは、大学時代、その友人の母親に頼んで、探偵のアルバイトをさせてもらった。
これがきっかけで、探偵という仕事をしたくなってしまったのだ。
しかし、アルバイトなら良いが、正社員として雇う必要のない彼女の事務所。
社長にお願いしてくれたらしいのだが、アルバイトで経験を積んでから採用できるか相談に乗ってくれる、とのことだが、親としては、そんな夢みたいなこと、と大反対。
そこで、彼女は調査業協会なんかの会議で顔を合わせたことのある人や、知り合いに、声をかけてくれた。
しかし、なかなかツテでの就職を嫌っているのか、タイミングがよくなかったのか、ひっかかったのが名古屋だったのだ。
ぼくの地元からずいぶんと離れることになるが、心配した親がちょくちょく見に来られたのではかなわないので、名古屋進出の決心をつけた。
採用までもいろいろあったのだが、とりあえず、社員としての採用が決まったので、市内中心地を離れた、ぎりぎり市内にアパートを借りる。
駅より、一宮の方が近いくらい?
もちろん、栄えたところに住みたい気持ちもあったけれど、なにぶん家賃が高い。
中心地を離れても、実際に払っていけるのか不安はあるのだけれど、そこは節約で乗り切ろう。
それが、どういういきさつか、今は岐阜を拠点に仕事をする毎日。
ぼくの両親は、岐阜県の位置をはっきりと把握しておらず、名古屋から岐阜へ通勤することを、かなりの距離と驚いていたのが印象的だった。
車で1時間もかからないと話すと、さらに驚いていた。
両親の岐阜へのイメージは、雪深い飛騨地方だったのだろう。
実際に名古屋で働いたのは、半年。
まだまだいろんなところで遊びたかったけれど、今はやたら岐阜に詳しくなってしまった。
地元の友人も話しは聞いてくれるが、岐阜だといまいち反応が薄いのが残念だ。
小学校の3年生か4年で、日本地図で、ここに北海道、ココに沖縄県…。沢山の都道府県を覚えなければならないことになる。
しかし、これと言って位置に特徴のない県、特に海に面していない県というのは覚えるのが結構大変だったりする。
それと、海の近くであっても、どっちが上だったか?下だったか?形に特徴がある県は覚え易いのだが…。
それでも、なんとかして覚えたい。
そこで、日本を各地方に分けて、順番に覚える方法を試した。北から順番。結構覚え易かった。
しかし、山梨、栃木、茨城あたりの関東地方で苦戦した。
内陸部はやはり難しいのだ。
さらには、自分の知っている県の周りを覚えていき、 それが全体のどの場所にあたるのか考えながら覚えるようにしたら、何となく分かるようになってきた。
大きさ、位置、形の特徴…。自分なりの覚えやすい特徴を、懸命と結びつけて覚えて行った。 日本を覚えた後に、世界の事も覚えなければならないとも知らないで…。
まだまだ、簡単な方だったかも…。世界は広い。
そんなこんなで探偵を目指していた僕が、探偵の仕事についた訳ですが、 初めは探偵という仕事なのかやはり、資料の整理や、まとめ、様々な庶務をこなしながら、探偵というのがどんな仕事なのかを学ぶ期間のような気がする。 みんながこのような感じで、研修期間的な時期を過ごすのだろう。
だって、探偵になったからといって急に調査をしろという方が無謀というものだ。
それは僕も認識していたから、良かったのだが、実際に現場での調査というのはいつから始まるのだろう。
まずは先輩探偵とともに、調査に同行し、探偵の調査の仕方を学ぶのだろう。 |